聖地の賑わい

チベットの中心であるラサにて。 バルコルと呼ばれる路地を歩いていると、時折、巡礼者を踏みそうになる。

寝転んでいるのは「五体投地」。立った状態から手を上にして合掌、喉あたりで合掌、胸元で合掌、スライディングのようにズザーっと滑り込み寝転んで合掌、起き上がる。この繰り返しで少しずつ進みながら巡礼し、参拝している。

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ここはいつも、巡礼者で賑わっている。 浅草寺清水寺のような混んでいる所を歩いていて、急に参拝客が寝転び始めたら、その人をうっかり踏みそうになるだろう。ちょうどそんな感じ。

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チベット仏教といえば、果てしない荒野の道を、孤独に五体投地で進んでゆくのがメディアで見るイメージかもしれない。それには続きがある。

ラサは巡礼の目的地である聖地。辿り着いた孤独な(?)巡礼者が大勢いて、ワイワイごった返している。あちこちで熱心に五体投地して、場所によっては踏んでしまいそうなる。 ラサの中心には不思議な賑やかさと活気が満ちている。

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慣れると、五体投地の巡礼者、観光客、物売り、人混みを自然にかわして歩けるようになる。聖と俗が混じりあうこの通りをいい塩梅で歩けると、この流れが心地よくなる。

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夜中、お寺の前を通ると、お寺の外でまだ参拝している人々がいる。 しばらく見ていたが、月と街頭に照らされてずーっとやっていた。
氷点下になる真冬でもそう。

ゴミが落ちてようが、汚れたマットが散らかってようが、ここが正真正銘、本物の聖地であることを巡礼者たちを見て思い至る。

この賑わいを見つめていると、飽きることがない。

峠にて

f:id:tabitomichi:20160918223015j:plain 真冬、チベットの峠にて。

車で越えるような峠ではなく、歩いて越える峠。
ヤクっぽいのが堅い藪をかじっていた。

積み石の上にいくつも掛けてある白い布は「カタ」。祝福したり、敬意を表すために使われる。カタのほかに小さな経文もくくりつけてあったが、ヤギにかじられて半分になっていた。

峠にはだいたい目立つ目印があって、その意味するところはだいたい同じではないだろうか。そのルートの重要な区切り、ルート同士が交わるポイント、これ以上行くか戻るかを判断する地点。

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峠を越えると、だいたい眺望が変わる。 その度にいつも「よくここまで来たなー」と心の中でつぶやく。

峠の目印とは別に、道中には少しだけ目立つ岩があったりする。そういった岩の上に石ころを置き、自分たちの道中の無事やこの場所を通る人の安全をチラッと願う。日本でもわりとある事だ。

チベットの現地の人も同じようで、見てると結構みんな石を置いている。1〜4個くらい。

このような背の低い石積みを見つけた時に、明らかに人が置いたとわかると、「この道は人が通れる、安全な道から外れていない」という安心感が自然に湧いてくる。

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現地の人が言った
「石をこう積んで、石の間から覗いたら、その人の将来がみえるよ」

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屈み込んで、しばらく覗いてみた。ここは4000m超えの高地、酸素が少なくてこの体勢はつらい…。

「んー?わかんない」

その時に見えたのは雪山だけ。
雪山といっても世界の屋根だから、きっと吉祥でしょう。
そう思ってまた歩き始めた。

美しい、いつも

その時、私とその男性はとりとめのない話をしていて、 彼はもうすぐ生まれ故郷の北海道に帰って生活するとのことだった。 話題が移り変わる中で、彼は自分の先祖が住んでいた土地のことを話してくれた。

「そうだな、その土地の名前はつまり『美しい、いつも』という意味」
「北海道って寒いでしょ、雪が降って一帯が覆われて、草木も覆われる」
「しかし、その土地は地面が暖かいから、雪が積もっても残らず、草とか花とかが一年中ある。どの季節でも緑があって美しい・素晴らしいということなんだよ」

それを聞き、私はどういう訳か深く感じ入った。 その土地の自然に生きてきた古の人々の感情がそのまま地名になり、子孫が私へその由来を教えてくれている。その古の人々の感情が自分に伝えられたことに、なんとも言えないありがたみ(?)のような情が湧いてきたのだった。

「おつかれさまでした」私は男性にそう声をかけて、笑顔で別れた。

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その後、私はこの出来事がずっと心に鮮明に残っていて、いつか機会があれば「美しい、いつも」と呼ばれてきた土地を訪れてみたいと感じていた。それは一種の憧れのような気持ちだった。

「美しい、いつも」の地を探してみたが、はっきりとはわからなかった。大雪山系トムラウシ山から流れるトムラウシ川は温泉の水あかが混じる川とのことで、周辺には温泉が湧いている。地面や温泉の湧き出る所は他の土地より暖かいだろうから、こういった土地のことなのかもしれない。

あの話を聞いてから1・2年後、北海道に旅行する機会があり、 実際にトムラウシ温泉に行ってみた。周辺は地面がホカホカで、思った以上に彼方此方の地面から湯気が沸き立ち、空気も暖かく感じられた。小川には温泉の水垢が多く、水草もボウボウに生えていたので、暖かく養分もあるんだろう。

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このような土地、冬でも温暖で草木が残るところを、いつも美しいと感じてそう呼んだのだろう。